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琵琶湖に呼ばれて

不思議な出会いの先に待っていたのは湖の畔の素敵な部屋。そこに暮らしながら日々の様々な気付きを発信しています。

大義

「大義」

 

そう聞いて ピンと来る人って

時代劇ファンとか歴史小説、あるいは伝記好き?

と 思ってしまうほど

耳慣れない言葉でした、私にとって。

 

 

大義とは

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

いろいろ調べたのですが こちらの説明が

凄いなと思ったのでリンクしました。

 

「人として踏み行うべき重大な道義」

とありまして・・・

 

ここにも わからない言葉が2つあります。

「踏み行う」

「道義」

それってなに?・・・(ただの 馬鹿です、ぇぇ)

 

踏み行う・・・守るべきことを守って行動すること

道義・・・道徳上の筋道

 

 

 

なんとなく ニュアンスではわかるけど

いざ、キッチリ理解しようとすると難しい。

 

「お天道さまに恥じない行為」

と思ったけれど これでは曖昧な気がします。

 

 

 

 

 

 

立春の頃、我が家にて

かねてから尊敬している素晴らしい方をお呼びして

プライベートセミナー・・・

いわゆる「お勉強会」を開こうと企画を進めていました。

 

その日時も決まり

来て頂けるOKを取り

参加者は瞬時に相当数が集まったのだけれど

 

最終段階になって

 

「そもそも その集まりを開く 目的

貴方(私のことです)に とって大義はありますか?」

 

と お呼びする方に質問されました。

 

「大義に対して誠意がみられないなら

私は動きません」

と、その方が仰ったのです。

 

半分 叱られているような

お断りされかねない そんな状況ですが

 

私は嬉しくて嬉しくて

泣きそうでした。

 

厳しさに震えもしましたが

その質問そのものが

私の求めていた答えでもありました。

 

 

 

 

至極当然のことです。

「なんのためにするのか」

これなくして 集まってどーするの?です。

 

しかも 

 

お金が凄い儲かる、とか

人が沢山集まってる、とか

それで名前を売る、とか

会をつつがなく円満に終える、とか

 

そんなことより大切な事があることを

しっかりと示されたその方が

私はますます大好きになり

今まで以上に尊敬をしています。

 

ヒーラーとか

カウンセラーとか

作家さん

ライターさん クリエイター、会社員。。。

 

他にも

↑にアンダーラインを引いて

示したような「動機」が基準になって

お仕事をしている方が多い昨今であることも事実です。

 

そうではなくて

「大義」と言う言葉を大切にされる方が

この世に・・・

私の側に・・・

いてくださるんだと言う喜びが

本当に大きかったです。

 

 

そして その答えを導き出すべく

一晩、眠れず

 

でも その方に ここに来て欲しい!と言う

私なりの本当の理由をお伝えした時

「それなら 行きましょう」と

そんなお返事を頂けました。

 

涙が出るほど嬉しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生き方に迷う時

目の前で起こっている現象を紐解きたい時

 

私は いつもその方に会いにいきます。

今は個人的には 誰にもアドバイスなさらないその方が

不思議とお話をして下さるのも ありがたいのですが

 

いつも そのお答えに見合う自分なのだろうか?と

不安にもなっています。

 

でも

必ずや 気付き 学びを得るのだ、

くじけた時も 自分を奮いたたせる

そんな前を向く気持ちも頂いています。

 

 

私欲がなく 公明正大で

しかも理にかなった 無駄のない説明に

 

良いか悪いか、好きか嫌いか

そんな判断など付け入る隙間など無く

自分に出来ることを全力でやろうと心します。

 

 

 

私欲を さもさも無いかの様にふるまい

美しいもっともらしい理由をつけ 

結局は 私欲 を貪る人間の傍にいると

本当に気分が悪くなってしまいます。

 

私欲が悪いのではないのです。

 

それを誤魔化して 

大義名分があるかのように振る舞い 

最終的には 自分の為に 人をコントロールする

 

その浅はかさに嫌気がさしていました。

理論もなく 正義もなく

自分へのフィードバックもなく

起こっている現象も都合よく解釈し

懲りずに同じことを続ける。。。

もう そんなものには かかわりたくはありません。

 

 

 

 

ある意味 良いお勉強になりましたが・・・

 

 

 

 

 

違和感を放置して 行きつ戻りつしていた私の状態を

いち早く見つけてくださり

気が付かせて頂いた

出雲大社への その人との旅は

一生の宝のような旅となりました。

 

 

 

委ねる、信じる、人はこれだけで

強く生きていけるものですね。

 

自分の中の武士の部分。

 

そんな事に気がついた 今日このごろなんです。

 

 

 

 

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