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琵琶湖に呼ばれて

不思議な出会いの先に待っていたのは湖の畔の素敵な部屋。そこに暮らしながら日々の様々な気付きを発信しています。

夜明けの晩

「夜明けの朝、夜明けの晩」

不思議な言葉です。

これは ある先住民族が 2012年冬至点を中心に、前3年半を『夜明けの朝』後3年半を『夜明けの晩』と伝えた事を  少し前に何かの記事で知り 今回 拝借させて頂きました。

 

ここ数年の自分に リンクしているなと思ったからです。

 

 

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本当に 手放したのモノは 何だったんだろう?

 

今年の1月、引越しの荷造りの最中、所持品(要するに過去の自分の選択)を捨てるか?残すか?あらゆる場面で悩みました。日用品だけでなく車や可愛がって育てていたお花や庭木なども その対象でした。

 

大抵のものは 躊躇無く手放す事が出来ましたが バラや小さな苗から育てたクレマチス、ブルーベリーが 少し辛かった。

 

その植物達には 思い出が沢山ありました。 土選びも 肥料選びも 大変でしたが それに応えて大きく育ってくれました。

 

 

イタリア映画「道」シスターの言葉

 

植物達とのお別れを寂しがっている時、「道」と言う古いイタリアの映画を思い出しました。…主人公ジェルソミーナが お世話になった教会を去る場面。優しいシスター達との別れに泣いていると  シスターから 「同じ土地にいると 執着が湧いてきてしまう。私達も修道院を点々と移るのですよ」と慰められ、更に「慣れ親しんだ土地と そこで育てた花も木も 実は 自分の物ではないのよ、全ては神様のもの、所有してはいけない」と 諭されるのです。

 

www.ivc-tokyo.co.jp

(↑学生の頃 深夜の名画座リバイバル上映で観たような・・・うろ覚えだらけ。でも とても好きな映画です。)

 

 今、まさに 私は その状態にいるのだな、と思いました。植物を育てる事や春に綺麗な花が見れた事は素晴らしい経験でした。何があってもお花たちを見ると優しい気持ちになれた・・・その事に感謝して さよならをしました。

 

 

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経験を手放すー良くも悪くもー

 

手放したり 気づいたりして 心の代謝や変化が始まると、周りの「変わらずにいるもの」とは なかなか合わなくなってしまうみたい。明確な理由や線引きがある訳ではなく なんだか居心地が悪いのです。 特に負のエネルギーからは ひたすら離れたい。

 

仲良しだと思っていた人や 好きだった空間に 違和感を感じる。会話がつまらない。…そして それを感じ始めてしまうと 前の自分には もう戻れない。波動の違い?なんでしょうか。

 

 

 

以前の私は 「それもこれもご縁」だと思っていました。自分の気分より 「折角、私に会いたいと 言ってくれるんだから」とか 「ワザワザ私に伝え様としてくれているのだから」と   気が乗らなくても 会ったり 相談に乗ったり グチを聞いたりしていました。どんな事にも学びがあるし 少しでも相手の役に立てたらいいなとも思っていました。人生に無駄は 無い筈・・・と。

その時の私には ある意味必要な事だったのだと今は思います。

 

 

今は…もう無理な人は無理だし 興味のない話題に耳を傾ける忍耐が ありません。自分の気分や興味、感覚を一番大切にするようになったんです。それでも どうしても 関わらなくては行けない場合は シールド?保護膜?を張る様にしています。自分が光りに包まれていたり、誰も入ってこれない場所にいるようなイメージを持つのです。

 

それを教えてくれたのは 今や私の心の師である ターラさんでした。それから福井に住んでいるMさん、と言う友人。Mさんからも 不思議な事を随分教わりましたが 特に 深い呼吸と感情のコントロールについて アドバイスを沢山頂きました。 本当に有難かった。感謝しています。

 

そんな方々のお陰で 自分の存在を イメージする時に 地球と繋がる・・・グラウディングを今まで以上に意識しています。導管・・・とでも言うのでしょうか?自分を通るエネルギーの流れを意識 イメージすることで自分を癒すことも出来るし保護もできる。そんな事がわかったのです。

 

 

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そして 最近は 自分が作り上げた常識や基準を手放さなくてはならない そんな出来事が立て続けに起こっています。捨て去る訳ではないけれど そこにこだわり過ぎない、とでも言うのでしょうか…

 

 

私のやり方はこれ。

私ならこうやる。

今までこうして来たから これで良い。

 

今まで、今まで、今まで…

私なら、私なら、私なら…

 

そうやって 結局今までの習慣を続けている。

そんな人とのやりとりは正直とてもつまらない。

 

「勝ち負け」や「正しい、間違っている」

・・・こういう考え方を伝えてくる人がいると 残念な気持ちになります。

「やられたからやり返す」、「言われたから言い返す」、「相手をバカにする」、「認めない」・・・なんだか子供の喧嘩ですよね。

 

 

きっと少し前は私も そこに居た。でも少なくとも抜けようと努力しているし 変わりたいと思っています。自分を客観的に見たり変化を受け入れようとすることで 見える世界も感じ方も違ってきますね。そしてとても楽になってきました。 

 

 

 ***

経験もそうですが 自分が学んだり 知識として得たもの、体験したこと、って なかなか手放せない。でもコダワリが過ぎると執着になってきて過去の自分に依存してるようにしか見えない。

 

手放す必要なんか無いじゃない?それって自分の経験だし スキルなんだし財産じゃん?…と思うかもしれません。それも わかります。でも それを基準に物事を判断してばかりいると 新しい事に進みにくい体質になってしまう気がします。知ろうともしないで拒否。そんな人が私の周りにも沢山いるんですね。

みんな「変わりたい〜」とは言っているのですが どうも過去の蓄積にばかり目が行ってるみたいで 先に進めず同じところをグルグルしてるように見えます。自分の足跡を上から なぞって歩いていても同じ所を回るだけなのになぁ・・・変化は誰かがもたらしてくれたり 持ってきてくれる物ではなく覚悟をする、決めるって事が大事なんですね。最近は身を持ってそれがわかることが多く 自分でしっかり決めなくちゃなと思っています。

 

 

 

変化を受け入れる覚悟をする

私にとっての覚悟は「導かれている事を信じる」でした。

そしてそのお陰で 不安も無くなりました。そこに 理路整然としたものは何も 存在しません。直感のみです。足跡のついてない場所に降りたのだと思います。

 

そして やっと妄想に近い沢山の不安から解き放たれた、自由になったなあ、なんて思うんです。開放された、の方が当てはまるかな。

 

「夜明けの晩」が終わって・・・これからどうなるのだろう。楽しみで仕方ありません。不安のない満たされた心地で日々を送っている事だけは間違いないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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