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琵琶湖に呼ばれて

不思議な出会いの先に待っていたのは湖の畔の素敵な部屋。そこに暮らしながら日々の様々な気付きを発信しています。

気づき 「喜びのまんなかに いる時は…」

越してきて 丸3カ月が経ちました。

 

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友達数人が 泊りがけで 遊びにきてくれたり

こちらの友達がご飯を食べに来てくれたり

一人でのんびりと過ごす時間があったり

 

 

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お寺や神社、美術展に出かけたり  

珍しい食材を見つけては 時間をかけて調理する。

 

仲良しと話しをして笑い位転げる。たまに頼まれた原稿を書いたり そのネタ探しに京都に飲みに出かけたり…

 

考えてみると  私には 今これをしないとマズイ、とか どうにかしなきゃ、的な切羽詰まった気持ちが  ありません。やらなくては いけない事も 置かれている状況も 多分前と同じなのですけれど…なんか まったり。

自分の事なのに 他人事(笑)

 

 

 

ここでの ささやかな暮らし、その十分な豊かさに改めて感謝をしています。部屋を綺麗にして 窓から琵琶湖眺めて …さて 何か美味しいもの 作ろうかなぁ〜♡  何飲もう?

そしてグラスを片手にソファから眺めるサンセット。もぉ、そこら中の全てに有難うと言いたい瞬間を満喫しています。

 

 

 

 

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最近、気づいたのですが…

楽しい時って 「あー、楽しかった♡」

しか ありません。せーぜー 笑いすぎて腹筋使って疲れたわ…とか思う位です。

 

 「これとこれがあーなって、 それは こういった理由と背景があって その時こんな精神状態で、それは 理論的に 説明すると こう言う作用な訳で 」…「イコール だから 楽しかった」

 

なんてちっとも考えない。

 

 

美味しい食事もそう。いちいち 理論的に分析しない。分析って 普通に考えて、興ざめしちゃう行為ですよね…ライブ感ゼロ。しかも くどい。

 食べながら そのレシピや食材について 話す事はありますが トータルで「優しい味〜!」とか「美味しい!作った人スゴイね!」とか「このお店、素敵だね、また来たいなぁ」位です。

 

お酒飲んでても 「わー、やばい!美味しい!」これが一番説得力ある訳で、しのごの ウンチクを言う暇もなく ひたすら食べる、

 

「お米が こうで 水もこうで  酵母がこうで 合わせた食材のアミノ酸に あーしてこーして」とか 言われると  「もうおだまり!」って言いたくなりませんか?

 

説明って  その程度によっては 美味しさの勢いを止めてしまうんですよね。

勿論その伝え方もありますけどね。

 

 

私も仕事柄 食に関する記事には あれこれ知恵を絞って詳言葉を尽くして 書いています。それはPR活動であり 正しく情報を伝える為でも あり 物を売らなくちゃいけない、つまり お仕事だからです。

 

プライベートで飲んでる時は 「これ!やばい!うまーっ」しか言ってない気がします 。

 

 

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最近、一緒に居たい人と 居たくない人が尚一層 ハッキリしてきて 自分でもビックリなのですが それは 波動の違いなのかしら。何故なんだろう。前は我慢も出来たし それなりに 長所や意義を見つけられたのにな…

 

私には「分析は要らない」…そう思うのです。

 

分析すればするほど 自分のその時の気分からは遠ざかる。なんだか真理からも離れていくような…

 

喜びや感動の共有はしたいけれど 喜びの原理や歴史について 理路整然とした分析や 説明はまぁ また今度ね…なんて。

 

 

 

 

ブルース・リーの「燃えよドラゴン」にもありました。

Don't think!feel!

 

喜びの真ん中にいる時は その外側に わざわざ行く必要ないじゃない?なんで楽しいか なんて どうでもいい。とにかく今は 楽しいんじゃー、って喜ぶ。

 

私は それ派。(何派やねん…)