琵琶湖に呼ばれて

不思議な出会いの先に待っていたのは湖の畔の素敵な部屋。そこに暮らしながら日々の様々な気付きを発信しています。

Being

そこに 存在するだけで価値がある。

誰もが そう思えたら いいのに…

 

なかなか 

「何かに ならないと いけない」

と言う呪縛が 外れない

 

「大人になったら 何になりたい?」

 

この質問って ほんと 洗脳なんだなと

思うんです。

 

 今では 

そのままの 自分でいる事が

一番難しいこと 、に なっています。

 

 

お父さんになったり

お母さんに なったり

独身とか

離婚した 、とか

のキャラ設定に加えて

 

どこかに所属して

何かの役を演じたりもしてる。

サラリーマン、教師

カフェのスタッフさん

アルバイト

 

その他にも

裕福、貧困、中間層…

色んな設定があって

その設定ごとに

起こる事は 違ってくるし

目指す場所も

成長の度合いも違う。

 

 

 

役にのめり込み過ぎて

それが 単なる役割、

設定された キャラクター

だという事を

忘れてしまってるのが ほとんど。

 

 

 

 

愛されようとしたり

愛してみたり

嫌ってみたり

逃げてみたり

 

すべては ゲームの中のクエスト。

 

 

 

適当な生き方とか

真面目な暮らし、とか

恐れや悩み

…みたいなスタート時の

オプションもある。

 

 

 

 

存在してるだけで

認め合えて

讃えあえて

喜び合っている世界も 実は あって

それは それで もう違うゲームなんでしょうね。

 

でも それだけでは 得られない 何かがあって、わざわざ 地球に人生ゲームをしに きてるのかもしれない。

 

 

 

大元の存在(プレイヤー)が望む

エンディングの達成感の違い。

それを得るために みんな ゲーム中のキャラとなって 色々をやってる。

 

昨日 誰かのblogで読んだ、

実はこの世はバーチャルリアリティの世界。 

 確かにな…と思います。

 

 

 

 

自分が

ファイナルファンタジードラクエ

マリオや カービィでもいいや

 

ゲームの

登場人物だったら

 

何回死んでるんだろうって。

 

でも 痛みもなく 前回の記憶も無く

ただ 操られるままに

動いては  山越え、谷超え

走り回って コインをさがしたり

ツボを割ったり…

 

ダンジョンのマップは 覚えて居なくて 

いつも 死んでは

また 同じ所から繰り返しクエストに

チャレンジしてる。

 

それが今の自分なのかも(笑)

 

 

課金ユーザーか無課金ユーザーかで

着せてもらえる服は違うし

能力も 違う

持ってるアイテムも 違うけど

 

それなりにゲームは 楽しめる。

 

 

もし人生がゲームなら

どんな場面でもメインキャラは

光の出口を見つけるはず。

 

 

どっちに、転んでも大丈夫。

 

だって 人生って

「大丈夫」に気づく ためのゲームだものね。

 

プレイヤーは

さしづめ 高次元の自分とか

神様って事になるんだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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