琵琶湖に呼ばれて

不思議な出会いの先に待っていたのは湖の畔の素敵な部屋。そこに暮らしながら日々の様々な気付きを発信しています。

自分との調和

不都合な事が起こっている時

 

…そこには

 

「不都合と感じる自分の意識」

があるだけなんです。

 

何かが あったとき

多少、時間が かかっても

そこから

少し離れてそれを眺めると

良い様に思います。

それは嬉しい事も

悲しい事も同じです、

 

喜んだ後に

ちょっと離れてみる

 

悲しんでからでいいから

少し離れてみる。

これオススメ。

 

なんで自分 そんなに喜んだのか

わかってくる。

なんで 自分 そんなに悲しいのか

わかってくる。

 

 

 

 そして

 

出来事に対して

自分が 少しでも ほっと出来る

そんな側面にフォーカスしてみる…

それもオススメです。

 

 

相手の行動は 変えられない。

 

変えようとしても 又摩擦が起こったり

疲弊してしまう事だらけ。

 

かといって

 

じっと こらえたり

あきらめたり、憂さ晴らしをしても

自分の中の負のスパイラルが

更に深まっていく…

 

第5チャクラ(のどのあたり)が 弱い方は

その可能性が高いと言われています。

 

自分をないがしろにして

他人に気を使ったり

人を癒したりする前に

まず自分をしっかり整えるのが先です。

 

 

 

咳が出たり、気管支が弱かったり 

声が枯れやすい…それもサイン。

インフルエンザにかかる人と

かからない人がいるように

 

病も気から…

全てが サインです。

 

 

 

 

 

 

調和って何だろうって

意識してみる…

 

例えば、その時の 出来事に 自分にとってプラスになる何かを見つけたり  穏やかな気持ちになれる単語にフォーカスしてみる。

 

 

相手の感情に巻き込まれずに

その「言葉」だけに

フォーカスする練習をしたりね 

 

これ、少し練習がいりますが…(笑)

 

 

 

淡々とその物事を見る事に

意識をシフトする。

落ち着く。

それがポジティブな事だよって

ずっと伝えているんだけど

 

どうもポジティブって

松岡修造さんみたいな感じって

思ってる人多くて…

いや、あれはあれで

素晴らしいけどね。

 

 

 

 

 

そうやって

抑え込むわけでも 諦めるわけでもなく

違う側面をみてみようと

気持ちを変える。

 

 

とにかく

落ち着いてみる、

深呼吸や 自然の中って良いですよね。

 

 

 

自分の思考の中に そんな回路を作ってあげると 自分との調和がしやすくなっていきます。

 

 

 

 

 

 

ほっとする

リラックスする

 

それが

ある特定の現実からの逃避や 、

エゴを満たすものではないこと。

 

相手をコントロールしようとするのではなく

自分のために 自分が楽になれる事を考える。

 

そうやって ゆっくりとでも

俯瞰が 出来るようになると

堂々めぐりから 抜け出せるようになります。

 

 

それを

人によっては

高い視点と呼んだり

物事に光を見つけると言ったり

フォーカスポイントを変える、

と表現したりします。

 

本当は ただ 「ある事」が 起こっただけ。

良いも悪いもなく

それは 結果として どちらにでも転んだり

逆転したりする事。

 

過去の経験から未来を予測して 不安や心配を引き寄せるのではなく 未来のこうなりたい姿から 今を 見直してみると 調和も取りやすく、おまけにミラクルだらけになっていきます。ミラクルにしたって それが起こっているだけなので 世界が自分仕様に カスタマイズされて 整ってきたなあって思うだけです。

 

 

 

こんな考え方は

唯識とか非二元がベースになっていたり

あるいは 禅がベースになっていたり、ですね。

もちろん 1つの哲学、思想の様なもので それが絶対なんてことは ありません。

 

 

私が長いこと 関わってきた 茶道も禅がベースになっています。山の様に 細かい規則、しきたり、作法、マナー、お茶を飲むための手続きがあり…昔は苦行にしか思えなかった…

 

でも、今は あれだけの細かな枠があると言う事は …逆に枠が全く無いのと同じだなあ、と 感じています。

 

とこにいても 何をしていても どんな様式の中であっても 自分がその中で自分の世界を確立しているんだと ある日、悟る。

 

その時 世界って調和してるーっ…て ふと感じる…

 

調和した時間は

一瞬でも 永遠でもあります。

 

 

 

 

 

 

自分の世界を創っているのは自分だと 分かると そこに他人って 存在していない。

 

今まで、そして今も

沢山の鏡が あっただけ。

 

愛せない姿を映す鏡もあった。

この横顔は嫌い、と思っていた。

後ろは 見えないと思っていた。

斜めは わがままに見えて嫌だなぁ、なんて。

 

でもどんな姿が映っていても

話しかけたり

笑いかけたり するのは

まず自分なんです。

 

様子を覗き込んでいれば

同じ姿が映るだけのこと。

 

恐れていれば

同じ姿を見てしまうだけ。

 

 

優しく微笑んでいたら

鏡の向こうの 他人に見える自分も

微笑んでくれる。

 

自分との調和が取れると

世界は 平坦で静かで 波も穏やか。

 

そうやって 5次元、6次元へと

意識は 上がっていくのですね。

 

 

そこにいるのは

ソースそのもの、

…の自分だったりするけどね。

 

 

 

 

 

 

んー、ある意味それも

人間離れしてますね(笑)

 

 

 

 

 

 

勝ち負けや優劣を そこに

見出そうとしてしまうのは

 

あなたの過去の経験や

上の世代から刷り込まれた

価値観からくるのかもしれない。

 

 

他人との比較と言う

競争する事でしか

より良いものは生まれない

的な

一昔前の考え方、

競わせたり成績をつける事で

 

上位のものに優越感を

下位のものには 劣等感か そこから這い上がる根性みたいな ものを植え付ける…

 

ようするに

調和や協力、シェアではなく

所有、もっと所有、という

飽くなき欲望と

それを得たものが 人生に勝利する

でも それって

 

永遠の奴隷であり

支配されている、他人や社会の価値観に踊らされていると言う事。その世界からは 抜けられない事に変わりないわけです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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